ももんじ通信

本と落語と時々博物館

立ち見券はもう少し安くて然るべしと思うはなし

昨日、観劇における低等級の席について述べた。低等級の席を選ぶときは、それなりの値段であったり、低等級席を取ったという心構えがあるからあえてそちらを選択することも視野に入れるメリットはあるということだった。

しかし、わたしにはどうしても許せない席が存在する。それが「立ち見席」である。

これまでわたしも何度か立ち見席を求めて劇場に足を運んだことがある。立ち見券を買いに行く理由としては「その公演がど〜〜〜〜しても見たい!」という気持ちが抑えきれないというのが主な理由だが、それにしても立ち見席と言うのは許せないいくつかの理由がある。

そもそも、観劇というのは椅子に座ってプログラムを楽しむという部分まででワンセットだと思う。つまり料金の半分……いや、3分の1は椅子に座ってプログラムを見られるという部分に発生しているのだとわたしは考える。だいたい、劇場に備え付けられた椅子でもないスペースを、そもそも頭数に入れていないスペースを客席として販売しているのだからある程度のディスカウントはあって然るべしなのではないかとわたしは思う。

わたしが今まで購入したしたことのある立ち見券は、通常料金と同じか500円安いというものであった。

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某大師匠の会でも立ち見は1000円引きである。もともと客席として想定していない場所に客を入れて、通常とほとんど変わらない料金を取るのは暴利ではないかと感じる。きっと色々な事情があるのかもしれないが……。

だとしても、わたしはやっぱりどうしても行きたい公演があるならば、立ち見券ででも見に行くと思う。それは、その公演がどうしても見たいためだ。しかし、それに客側が100パーセント満足しているわけではないのだと強く主張したい。立ち見はあくまで立ち見なのだ。「あの公演、どうしても行きたかったからさ、値段変わらないけど立ち見で行ったんだぜ〜」と言うのは客へのやりがい搾取にすぎないのだとわたしは強く主張したい。

これまでわたしは何度か立ち見席というものを体験したことがある。立ち見には全部で3種類あり、前方に手すりがある場合、後方に寄りかかれる壁がある場合、なにもない場合である。

一番楽なのは圧倒的に前に手すりがある場合だ。もはや立ち見で開き直っているので、自分のスペースの限り楽な姿勢を探ることとなる。後方に壁の場合には、荷物の置き場所にとても困るという点でなかなか難所となる。基本的に私たちには最低限のスペースが与えられるため、出来るだけ隣の同士の迷惑にならないように振る舞う必要がある。荷物を足の後ろに置いて壁に体を預けるスタイルでは、反り腰になり後半地獄を見る。だからといって壁にぴったり体をつけて足に立てかけるように荷物を置くと、プログラム半ばでその荷物が倒れて気まずい思いをすることになる。結局、体を壁に預けた状態で体の側面に荷物を寄せて手で荷物を管理するスタイルが最強なのだが、多くの場合それが叶うスペースは立ち見には与えられないのが現状だ。

寄りかかるものがなにもない場合は、端的に言って死を意味する。寄る辺もなく立たされ、後ろの壁を許された立ち見民の邪魔にならないように出来るだけ直立不動を強いられながら、わたしは世界史の教科書で見たことのある奴隷船の絵を思い出していた。立ち見で寄りかかれるスペースのない席を用意する主催者は、滅びればいいと思う。

この最後に挙げた寄る辺のない立ち見席のことはなかなか忘れられない思い出だ。

某老舗劇場での会だった。当日券を買いに行くと立ち見しか無いという。値段は通常料金と変わらず。その日はその公演を見たくて家を出ているので、購入。立ち見客は開演の5分前まで会場の近くで時間を潰し、集合して会場に案内されるということだった。集められた立ち見客は大きな荷物を回収され、二列に券番順に整列すると、会場内の通路へ案内される。着いた先の足元には番号の書かれた養生テープが貼られていて、どうやらそれが私たちの席という扱いらしい。通路にぎっちりと並べられた私たちは、お互いにぶつからないように気を遣いながら公演をみていた。手元に残っている荷物は足元に重石のように置き、暗転のたびに小さく屈伸して足のコンディションを保った。ふと、反対側の通路をみると、そちらにも同じように立ち見の観客がぎっしと詰められているのが見えた。決して安い公演ではないのだ。決して、安い公演ではなかったのだ。

人気のある公演に行くと、やはり立ち見の客を見かけることがある。なんだかなあ〜もうちょっと安ければ、いいんだけど。特に、落語の公演なんかでお年寄りが立ち見しているのをみると切なくなる。