ももんじ通信

本と落語と時々博物館

落語家さんの手ぬぐいについて

落語に通うようになって、手ぬぐいを手に入れる機会がかなり増えた。

実際には落語家さんの手ぬぐいというものはおいそれと手に入れることができるシロモノではないのだが、わたしが落語の聴き始めに縁のあった立川流は大抵の場合バンバン物販で個人の手ぬぐいを売るタイプのところだったので、あっという間に持っている手ぬぐいの量がえげつないことになった。大きめの紙袋にパンパンになるほどだ。

落語家さんの手ぬぐいを集める人には2タイプある。手に入れた手ぬぐいを使わないでコレクションするタイプと使ってしまうタイプ。

私もはじめは大事に取っておく派として保守を貫いていたが、正直そうは言っていられないほどに増え始めたので手ぬぐいを下ろすことにした。なお、たまにご厚意で手ぬぐいにサインを頂戴することがあるが、さすがにサインをいただいた手ぬぐいは使わず大事に保管している。

手ぬぐいを初めて洗濯したときに驚いたのは、その端のほつれ方である。尋常じゃないくらいに糸が出て、もう手ぬぐいが全部そのままほどけてしまうんじゃないかと思った。一緒に洗濯した他のものを巻き込んでとんでもないことになっている。また、使い始めの手ぬぐいが注染のものである場合には染料が洗濯物のなかに染み出して大変なことになる。私の場合には、一緒に洗濯したタオルと下着が赤い染料でうっすらピンク色に染まってしまった。

手ぬぐいを下ろすときはそれ単体で洗濯するか、ネットなどを使い、色移りして困る物は絶対に一緒の洗濯機に入れないようにするべきなのだろう。

洗濯した手ぬぐいを、私は縦半分に折ってハンガーに2枚ずつつるして乾かしている。初回はつるした状態で、出た糸を切る作業を行う。

薄い生地なのであっという間に乾いてしまう。しかも、生地がとてもいいのでタオルも顔負けなくらいにふわふわに仕上がるのだ(これは柔軟剤を入れているからかも)。これは洗濯を繰り返すほど顕著で、綯えてきた生地が気持ちいいのなんのって。

乾いた手ぬぐいは適当にいいサイズにたたんで大判のハンカチ代わりに使っている。落語家さんが実際に高座で使うときのたたみ方にも決まりがあって、切れ目が外に出ないようにするらしいが、何回聞いてもよくわからないので覚えるのをやめた。大体、そのたたみ方をしても、出したときに本を読むまねが出来る以外にあまりメリットがない。ちょっと浮き浮きするくらいかな。これは結構大事なことだけど。

手ぬぐいは意外と便利で、洗った手を拭くのにも全くストレスが無いし、夏場に汗を拭いたり、ものを食べるときに膝に乗せたりと大判ならではの使い方ができる。たたみ替えれば常に新しい面を使うことができるのも大きな魅力だ。

人によっては手ぬぐいの生地を使ってクラフトを楽しむ人がいる。飲食店を活かした某会場の手ぬぐいランチョンマットは行くたびに楽しみだし、某師匠の会では物販で手ぬぐいを使ったトートバッグが売られていたりもする。謝楽祭でも同様のグッズが売られていると風の噂で聞いたことがある。

物が物として役目を全うできないのは、そのものを殺しているのと同じである。落語家さんが作る手ぬぐいなんて、特に高座で使えるクオリティのものなのだから勿体ない!と思ってしまう。使う、使わないはまったく個人の自由だが、一度試しに使ってみて少しでも「いいな」と思ってくれる人が増えたらと思う。