ももんじ通信

本と落語と時々博物館

「どこにもない落語」を読む。

 

 

らも咄

らも咄

 

 

落語の本について文章を書くにあたって、当然落語家さんの書いた本を紹介するのがスジだろうと思った。けれどもあえて、中島らもの『らも咄』について書こうと思った。この本は、私が落語に出会うずっとずっと前、2012年のPARCOで観た「こどもの一生」に衝撃を受けた私が最初に手に取った中島らもの本である。

立川談志師匠は落語のキモを「リズムとメロディ」と表現した。ただ語るのではない。歌うように語ることができるのが落語の名人なのだ、というのはよく聞くことで、実際落語に通ううちに噺家さんのメロディに乗せられる瞬間に出会うことがある。

落語はリズムとメロディ

しかし、この本の落語にはリズムもメロディも存在しない。リズムやメロディどころか、声も身振りも表情さえも存在しない。
ただ、スジがあってそれを頭から読むだけだ。
リズムやメロディ、溜めを作るのは読者自身で、用事があって、眠くなって、飽きて本を置けばそれがその分だけ溜めになる。興が乗ってドンドン読めば、それは猛烈スピードの落語になる。
作者の作った新作落語が掲載されている為、この本を超えて口演されることはない。
新作落語には様々なタイプがある。ギャグであふれたものコントのようなものドラマのようなもの、ナンセンスなもの……
中島らもの新作は至ってオーソドックスで、会話で構成されたページから他愛もないネタやクスッとする話、ギョッとするような驚きまで見つけることができる。
私が初めて意識して触れた「落語」はこの世のどこにもないけれど、確かにある地に足のついた笑いだったと『らも咄』を思い出す度に思うのだった。

 

この書評は2017年1月6日にシミルボンに掲載したものです。

らも咄 - 「どこにもない落語」を読む。 - シミルボン