叙述ミステリのパラドックスに立ち向かう。

この本も残すところ、あと数ページ、そんなに長い作品ではなかった。
連続殺人のミステリは途中顔を覆いたくなるような描写も少なくなかったが、読みにくい文章ではなくすっきりと入り込んできた。
ついに主人公たちが、犯人に的を絞り現場に踏み込むその瞬間が訪れる。
だれが犯人か、ではなくどうやって犯人を見つけるかに眼目がおかれたミステリだと、その瞬間までは思っていた。
読み終わった瞬間に、何が起こったのか分からず喉から変な声が出る。
即座に再読。再々読してようやく意味がわかる。
やりやがったな!という笑みがジワジワと頬に浮んでいく。
叙述ミステリの醍醐味というのはそんな瞬間にあるのではないだろうか。

そして、ミステリを少しでも囓った人間ならば必ず陥るのが「叙述ミステリのパラドックス」だろう。

そのパラドックスには、鮮やかな叙述ミステリにたまたまぶち当たった瞬間から悩まされることになる。初めて叙述ミステリに触れた瞬間こそが心から叙述ミステリを楽しむことができる最初で最後の瞬間となる。

叙述ミステリに既に出会ってしまったあなた、ご愁傷様です。
まだ出会ってないあなた、このコラムを開いてしまってご愁傷様です。

叙述ミステリのパラドックスが悲劇としか形容できないのにはふたつ、理由がある。

ひとつは、叙述ミステリはその作品が叙述ミステリであると紹介された瞬間に叙述ミステリとしての機能を失ってしまうこと。
いちど叙述ミステリの味をしめたあなたは、さらなる叙述ミステリの愉悦をもとめて叙述ミステリを探す。しかし、「叙述ミステリ」であるという理由でオススメされている作品は叙述ミステリであると分かってしまった段階で、叙述ミステリとしての機能を既に失ってしまう。そのことに気づかないふりをしても、頭の裏側で、読んでいる作品が叙述ミステリであるという事実はしっかりと溶接固定されてしまう。あなたは叙述ミステリが叙述ミステリであると知っているがゆえに、叙述ミステリを楽しむことができないのだ。

もうひとつの悲劇はあなたが叙述ミステリの存在を知ってしまったこと自体に存在する。

「最後の一行であなたは凍り付く」「○○ページを読んだ瞬間、涙がとまらない」

あー叙述ミステリってる。完全に叙述ミステリです。
この売り方をする本がだいたい叙述ミステリなのを叙述ミステリを知ってしまった人間は知っている。それゆえに背表紙のあらすじから激しいネタバレを受けてしまう。
手に取った好きな作家の小説を読んでいる最中にも、不意に登場人物の関係が気になりだし、キャラクターの立ち位置を考え始めてしまう。結局邪推は邪推のままで、ストレートに物語は終結していく。
叙述ミステリのパラドックスに陥ってしまった人間は、普通の小説を普通に楽しむことすら許されない体になってしまうのだ。
普通の小説でさえそうなのに、ミステリを読むとなればその感情はひとしおで躍起になって文章のほころびを探し、行間を読みまくる。そして、初読で叙述ミステリを見破れば、その喜びに酔いしれさらに隠れた叙述ミステリを求めてしまうのだ。

叙述ミステリのパラドックスがかくも恐ろしい悲劇であることをご理解いただけただろうか。
かくいう私も、叙述ミステリに出会ってから、小説を疑ってかかる癖がついてしまった。純粋にストーリーを楽しむ喜びは奪われてしまった・・・かに思われた。

叙述ミステリのパラドックスを克服するたったひとつの冴えたやり方が一つだけ存在する。それは、叙述ミステリだと分かっていても、想像のはるか上を行く叙述ミステリを読むという方法がそれである。自分の乏しい脳みそを越える叙述ミステリに出会ったときの衝撃は一入であり、さらにその快感はあなたを次の叙述ミステリに導く。
しかし、次の瞬間またあなたは叙述ミステリのパラドックスの渦中に引き戻される。今度は新しい叙述ミステリの知識を身につけ、一回り太った頭で次の出会いを待つ生活に放り出される。
永遠に続く螺旋のなかで、ミステリファンは叙述ミステリのパラドックスの業火に灼かれ続けるのだ。

 

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

 

この記事は2017年12月22日にブクログに投稿した書評です。

 

https://shimirubon.jp/users/1673781