ももんじ通信

本と落語と時々博物館

風呂上がりに気づくこと

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先日風呂上がりにふと鏡をみたら、まったく気づかないうちに内ももにでっかい痣があることに気がついた。一体いつ出来たんだ……というのは全くの謎。

確かにその前週、どこかでこの部位を押さえながら「イッテエエエェェ」と叫んだ記憶があるのだが、圧倒的に痛かった記憶だけがあって、結局どこでできた痣なのかは藪の中である。

EToS江戸東京研究センター特別対談企画「日本問答・江戸問答」に行ってきた

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4月21日に法政大学薩埵ホールで開催されたEToS江戸東京研究センター特別対談企画「日本問答・江戸問答」に行ってきた。同団体としては二度目のイベントで、昨年出版された田中優子さんと松岡正剛さんの対談本『日本問答』のPRと江戸東京センターのアピールのためのイベントだったようだ。

 

日本問答 (岩波新書)

日本問答 (岩波新書)

 

日本問答は事前に購入して半分ほど読んだ状態で行ったのだが、田中さんと松岡さんの話す雰囲気であったりお互いの途方もなく厚い教養が心地よい読み心地だった。

当日は、以前に「情熱大陸」で拝見して以来好きになった松岡正剛さんのお話を聞きたくて会場に行った。

前半は田中優子さんと松岡正剛さん、それぞれの講演があり後半に対談というプログラムだったが、後半のお二人が話しながらテーマを深めていく様子がやはり本の読み味と同じで心地よかったことと、お互いがおっしゃっている内容が重複していて結果繰り返しのようになっていたことから、もっと深い話を聞けたかもという点で全編で対談を行ってもよかったのかなと感じた。もっともっとお二人の話が聞きたかったなあ。

キーワードは「デュアル」と「おもかげ」。日本の考え方は「おおもと」にある「おもかげ」を常に残すために「デュアル(二極的)」なものになっている。それを様々な角度で考えていくプロセスが刺激的でした。

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対談を聞いた後に『日本問答』に戻ると、字面では分かりにくい空気感のようなものが立ち上ってきて、対談を聞く前よりさらに読みやすく感じました。田中さんと松岡さんが本当に楽しそうにお話しされるのが良かったんだよなあ〜

自分は料理が苦手だと思っていた

4月から新生活が始まって変わったことがある。自炊をするようになったのだ。

私はこれまで漠然と、料理が苦手なんだと思っていた。小中学生の時に、台所の手伝いに入った時に母親から散々に否定され、それ以来嫌になって料理をやらなくなったためだ。そりゃあ、毎日台所に立っている母からみたら、小中学生の手伝いはたどたどしくて邪魔なのは当然だろう。

そんなわけで、これまで最低限の用事でしか台所に立ってこなかった。なにより、人が管理している台所でものを動かしたりして、後から文句を言われるのが本当に嫌だった。

実際に自炊を2週間強やってみて思ったのは、料理は普通に楽しいということ。材料を切って下ごしらえして加熱して……というプロセスを踏んで何かを作ることは刺激的で充実感がある。

それから、毎日自分が食べたいものがたくさん食べられるということ。私は食感が統一されている食べ物が好きなので、品目数の少ない料理をたくさん作るのが好きだ。そのひとつひとつが自分が食べたいものであり、好きな味付けになっている。外食したり出先で見かけた料理も、食べてみたかったらトライすることが出来る。

最後に、今の段階は料理を始めたばかりなのでドラクエで言うならば、スライムを倒すだけでガンガン経験値が入ってレベルが上がっている状況だというのが料理が楽しい一番大きな要因だろう。

これから料理が単なるルーティンになってしまうか、はたまたいつも刺激的で楽しい趣味に落ち着いてしまうかは、自分次第だ。

レシート地獄

思えばもう4月も末………もはや2018年も三分の一が終わりかけている。

ついこの間正月だったばかりなのに!という気持ちと、毎日あちらこちらに出かけているので「ひと月がなかなか終わらない…!」という気持ちがないまぜになっている。

私はいくつかアルバイトをしているので確定申告をしなくてはいけないのだけど、それとは別に全く稼げない本業があるので、経費の計上が必要になる。だから出先での領収書・レシートの取得は必須であるが、このレシートが本当にややこしい。

4月からある種の新生活を始めたため、財布の中はすぐにレシートでパンパンになってしまう。このレシートの整理と帳簿付けが本当に面倒で大変なのだ。

まず、実店舗とインターネットショッピングでのレシート・領収書の扱いがそれぞれ異なっている。実店舗での買い物はレシートが既にあるので入力だけで済むのだが、インターネットショッピングの場合は自分でレシートを出力するところから始めなくてはいけないのだ。

昨年、Amazonのレシートを一括出力してくれるサービスを見つけてからは、年末にそれを印刷すれば良いだろうとたいていの買い物はAmazonで済ませることにした。

これで処理しなくてはいけないネットショップの履歴がグッと絞られる。

他に、実店舗での買い物は、出来る限りクレジットカードで行うことに決めた。そうすることで実質クレジットカードの明細が家計簿と帳簿の代わりになる。(これは勝間和代さんの『超・ロジカル家事』を参考にした)

クレジットカードは処理が面倒なので、Apple PayでIDを使えるようにした。いまはコンビニの支払いも基本的にIDのクレジット払いだ。

そのため、現金を使う場面が大幅に減り、常に自分の財布に大体いくらくらい入っているのか分かるようになった。いま、私が現金を使うのはカフェでの作業時と現金払いの落語会くらいである。

これら諸々のレシートを「○月」と付箋の貼られたクリアファイルにボンボン詰めていき、気力がある時に白色申告ソフトに入力するだけで私の本年の確定申告は8割型終わる………はずなのだ。

実際には、クシャクシャになった紙袋に1月から4月のレシートが多量に突っ込まれて置かれているだけだ。

どうなる確定申告!乞うご期待!

 

勝間式 超ロジカル家事

勝間式 超ロジカル家事

 

 

 

落語家さんの手ぬぐいについて

落語に通うようになって、手ぬぐいを手に入れる機会がかなり増えた。

実際には落語家さんの手ぬぐいというものはおいそれと手に入れることができるシロモノではないのだが、わたしが落語の聴き始めに縁のあった立川流は大抵の場合バンバン物販で個人の手ぬぐいを売るタイプのところだったので、あっという間に持っている手ぬぐいの量がえげつないことになった。大きめの紙袋にパンパンになるほどだ。

落語家さんの手ぬぐいを集める人には2タイプある。手に入れた手ぬぐいを使わないでコレクションするタイプと使ってしまうタイプ。

私もはじめは大事に取っておく派として保守を貫いていたが、正直そうは言っていられないほどに増え始めたので手ぬぐいを下ろすことにした。なお、たまにご厚意で手ぬぐいにサインを頂戴することがあるが、さすがにサインをいただいた手ぬぐいは使わず大事に保管している。

手ぬぐいを初めて洗濯したときに驚いたのは、その端のほつれ方である。尋常じゃないくらいに糸が出て、もう手ぬぐいが全部そのままほどけてしまうんじゃないかと思った。一緒に洗濯した他のものを巻き込んでとんでもないことになっている。また、使い始めの手ぬぐいが注染のものである場合には染料が洗濯物のなかに染み出して大変なことになる。私の場合には、一緒に洗濯したタオルと下着が赤い染料でうっすらピンク色に染まってしまった。

手ぬぐいを下ろすときはそれ単体で洗濯するか、ネットなどを使い、色移りして困る物は絶対に一緒の洗濯機に入れないようにするべきなのだろう。

洗濯した手ぬぐいを、私は縦半分に折ってハンガーに2枚ずつつるして乾かしている。初回はつるした状態で、出た糸を切る作業を行う。

薄い生地なのであっという間に乾いてしまう。しかも、生地がとてもいいのでタオルも顔負けなくらいにふわふわに仕上がるのだ(これは柔軟剤を入れているからかも)。これは洗濯を繰り返すほど顕著で、綯えてきた生地が気持ちいいのなんのって。

乾いた手ぬぐいは適当にいいサイズにたたんで大判のハンカチ代わりに使っている。落語家さんが実際に高座で使うときのたたみ方にも決まりがあって、切れ目が外に出ないようにするらしいが、何回聞いてもよくわからないので覚えるのをやめた。大体、そのたたみ方をしても、出したときに本を読むまねが出来る以外にあまりメリットがない。ちょっと浮き浮きするくらいかな。これは結構大事なことだけど。

手ぬぐいは意外と便利で、洗った手を拭くのにも全くストレスが無いし、夏場に汗を拭いたり、ものを食べるときに膝に乗せたりと大判ならではの使い方ができる。たたみ替えれば常に新しい面を使うことができるのも大きな魅力だ。

人によっては手ぬぐいの生地を使ってクラフトを楽しむ人がいる。飲食店を活かした某会場の手ぬぐいランチョンマットは行くたびに楽しみだし、某師匠の会では物販で手ぬぐいを使ったトートバッグが売られていたりもする。謝楽祭でも同様のグッズが売られていると風の噂で聞いたことがある。

物が物として役目を全うできないのは、そのものを殺しているのと同じである。落語家さんが作る手ぬぐいなんて、特に高座で使えるクオリティのものなのだから勿体ない!と思ってしまう。使う、使わないはまったく個人の自由だが、一度試しに使ってみて少しでも「いいな」と思ってくれる人が増えたらと思う。

パンツを捨てる一大決心

なかなか捨てるタイミングが微妙なものの代表に下着がある。

ほつれたりよれたりしてきても、マァまだいけるっしょと目も当てられない状態で着け続けているものは少なくない。

おパンティはまだ目に見えてボロくなるので潮時が分かる。タンクトップも面積が広いので、汚くなってくると干されている中だったり箪笥の中で小汚い姿が目立つので捨てる分別もつく。一番問題なのはブラジャーだ。

私がいま所持しているブラジャーの大半はもう10年近く使っているものだ。全部が全部同じようにボロくなっているので、一見ボロくは見えない。というか、ブラジャーは普通に使っている場合、そんなにボロくならないのだ。

まず、布面積がとても小さいので、ボロさが目立たない。それから、ブラジャーは着けても着けなくても良い下着なので、傷みにくい下着である。きつくならないようにゆるめのものを選んでいるので、ゴムが伸びることもないし、首元が覆われているわけではないため汗をよっぽどかかないと「ヤバい」状態にはならない。しかも、洗濯において、大変デリケートに扱われる。

ブラジャーは淑女の胸元を覆うものなので、結構な長さがあり、腕を通すループが付いているため普通に洗濯をしてしまうと大変に周囲の洗濯物に迷惑をかける。だからかなりの確率でネットに入れられるし、ワイヤーなどのデリケートな素材が使われていることも多いためワイシャツなどと併せて洗濯されることが非常に多い。

つまり、洗濯においてブラジャーは非常に傷みにくい下着であると断言できるだろう。

私は上記の10年もののブラジャーを、かれこれ20本弱持っている。つまり、一本のブラジャーが使われるのは1ヶ月に約1回ということになる。それは傷まないのも道理だ。と思うと同時に、そんなに必要か?という気持ちが起こった。

昨年の末から、持ち物を減らそうと考えて、いわゆるミニマリストの方が書いた本をいくらか読んでみている。結論から言うと、私はミニマリストには絶対になれない。大好きな物に囲まれて生きるのが大好きなのに、極限までそれらを削ぐことなんて不可能に近いのだ。

しかし、私にとって20本あまりの古びたブラジャーは「大好きなもの」の域には入らないことも、またひとつの事実だ。

ミニマリストの人は、1組しか下着を持たないらしい。1組持っている下着を風呂に入る度に後生大事に洗って、使い、ボロくなったらすぐに捨てて、新しいものを買い、またそれを大事に大事にはくらしい。

そこまでのことを出来る自信は自分にはないが、たとえば7組の下着を持ち、一週間に一度きちんと洗濯を行って、常に買ってから1年未満の下着で過ごすことは可能だろう。いや、一週間に一度と言わず、4組で週に2度の洗濯でも十分に間に合うだろう。

だいたい、現在気に入って着けている下着に関して言うならブラジャーを除けば大体好みは決まっていていつ買ったかも分からないダッセエパンツは本当にはくものが無くなってしまった緊急時にしか着ていない。

それなら、今の自分の好みにあった下着を定期的に購入しボロい物を減らしていってしまえばいいのではないだろうか。

そう思い立って、先週末に新しい下着を購入した。無印で2枚で990円のパンツである。2枚購入して今持っているボロい下着を3枚捨てる。そうすることでだんだん持っている下着が減っていく計算だ。

最終的な目標は、日常的に使用する着る物をすべてひとつの衣装ケースに収めることだ。

計画は、まだまだ始まったばかりである。

ラーメンを食べるとき

滅多にないことだけど、どうしてもラーメンが食べたい時がある。この渇きは、飢えはラーメンでしか癒せないという瞬間が人生には幾度も訪れる。

昨日がちょうどその日だった。

当日券で演劇の昼公演を見た後に以前から予約していた落語会があった。演劇を観るのには、体力をたくさん使う。観劇前に食べた菓子パンはもはや胃袋からは跡形もなく消え去っていて、夜の落語の前に何かを食べる必要があった。

会場は中野。中野駅の南口のマルイ2階にはコメダ珈琲店があって、以前からシロノワールとバンズをゆっくり食べてみたいと思っていた。

その前にまんだらけで用事があったので済ませてしまおうと北口の中野サンモールへ。

中野ブロードウェイへ向かうアーケードの中には飲食店が充実していて、何軒かラーメン店もある。それぞれ入ったことはないがとても美味しそうだ。店先に貼られた写真を冷やかしながら進むと、透き通った醤油ベースのスープのラーメンの写真が目に飛び込んできた。色々な食材で出汁を取った、豚骨ベースの博多ラーメンだという。こんなにも透き通ったスープの豚骨があるものかと思いながら、その時は店舗の前を通り過ぎた。

まんだらけでの用事を済ませてコメダ珈琲店に向かう道すがら、ふとまたあの写真に目がとまった。目が合ったとも言えるかもしれない。

これからコメダ珈琲店に向かう自分を想像した。あそこのコメダは、いつも5人くらい並んでいるので、向かって並び始めてようやく通されても落語会の開場間近だろう。コーヒーとシロノワールを頼んで、掻きこむようにしてそれらを食べ、封を切った豆菓子なんか飲み物のように口の中に流し込んで、這々の体で開場へと向かう………………。

気付いた時には券売機の前に立っていた。目当てはあの透き通った豚骨ラーメン、と思った刹那に大きなポップの貼り付けられたボタンに目がとまった。

「人気NO.1!!」

見回せば、その店には例の醤油ベースのラーメンだけでなく、たくさんのトッピングが乗ったラーメンがあるのだ。私の大好きなネギがこれでもか!と乗ったラーメンすらある。

なによりこのポップだ。「人気NO.1!!」とまで言われて無視をしてしまえば、男が廃る。せっかく貼られたポップも惨めだろう。

気づいた時には、その人気NO.1なラーメンの食券を握りしめて席に着いていた。思えば人気NO.1なのだ。私が頼まなくても、たくさんの人に頼まれるだろうに。

福岡系のラーメン店のカウンターには所狭しと壺が並べられている。それをひとつひとつ開けてみると、高菜や紅生姜が入っていて俄然ラーメンが来るのが楽しみになってきた。

傍らにはラーメンに入れるニンニクを砕くための機械まである。

いやいや、これから人に会って落語を聴くのだ。あまり臭いの強いものは………葛藤のうちにラーメンがきた。

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2種類のチャーシューにトロトロの煮卵まで乗っている。アクセントは千切りにされたキクラゲだ。そこにこれでもかと高菜と紅生姜を投入する。ニンニクは……鞄の中を確認すると、以前に買った使い捨てのマスクが残っているのが見えた。

私はニンニクを、力いっぱい押し潰し、スープに投入した。

ラーメンを食べている時によくあるのは、一口目の時には「こんなに美味いんだから替え玉いけるっしょ」という根拠のない自信だ。今回もそんな気持ちで食べ始めた豚骨ラーメンだったが、麺を食べ切る頃には「ナマ言ってすみませんでした」という気持ちが芽生える。結局今回も「替え玉はもっと硬い麺を頼もう」と思っていた気持ちが嘘のように消えていったのだった。

高菜の辛子で赤く染まったスープも、食べているうちに健康が気になってきて最後までは飲まず、ただ出来るだけ沈んだ具を頑張って食べる。こういう時、味噌ラーメンについて来る穴あきのレンゲが恋しくなる。

ラーメンというのはこのように往々にして、狂気のうちに食べ始め、冷静を取り戻すことで食べ終える食べ物なのだ。